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ハンセン病啓発活動(その2)

       ハンセン病啓発活動(その2)

       ~12月10日は「人権デー」である~
 第3回国際連合総会が「世界人権宣言」を採択したのは1948(昭和23)年12月10日である。それを記念して1950(昭和25)年の国連総会で記念日とした。以来、
12月10日を最終日とした一週間が人権週間として守られるようになって今日に至っている。その宣言文の第1条に「すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。」とある。


     ダリア2     ダリア1jpg

教会の門柱の側に植えた皇帝ダリアが咲きました。背丈が2メートルにも伸びています。


        人権問題の生きた教材に!

 啓発講演に招かれて、講演後の質問で、よくある質問に“私たちに出来る事で何を望まれますか?”という類の質問を受けることが多い。“偏見と差別はその対象が無くなれば自然になくなる。しかし、偏見と差別はハンセン病に限った事柄に止まらない。”
 なぜなら、この世の偏見と差別は人の数だけ存在する、といった先人が居た。という事は、人は皆互いに偏見と差別の渦中に在って人の世の社会が形成されているのだ、といえない事はない。この世の中で一番厄介な問題である。国際レベルで「人権デー」が定められたのもグローバルな偏見と差別を考える~人権問題の教育~に力を注いできたことか?偏見と差別を克服するためにはどう在るべきか?この世の永遠の課題ともいうべき事柄とどのように向き合って生きていったら良いのか?
 ハンセン病を患った人たちは理不尽な偏見と差別をどのように克服し生きて来たのだろうか?その生き方・在り方を学ぶ機会がハンセン病啓発活動の中にある。ハンセン病に対する偏見と差別に悩み苦しめられ、理不尽な扱いを受けて来た人々の生の声を聞く事によって、人を差別することがどんなに残酷で酷い仕打ちを与えて来たのか?素直で謙虚な思いで学び取ることが大切な事ではないでしょうか。まさに人権問題を考える最適な生きた教材の一つがハンセン病啓発活動の中にある。

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ハンセン病啓発活動(その1)

      ハンセン病啓発活動(その1)

      啓発活動は未だ道半ばだ!

 “偏見・差別は無知による”ことは良く知られているにも拘らず、その啓蒙は進んでいない最中で、熊本で発生した「宿泊拒否」事件が契機となって、偏見・差別はハンセン病に対する無知から生まれる事を改めて思い知らされ、弛まない啓発活動を喚起した。
 熊本県ではハンセン病啓発のために、年に一度ハンセン病問題啓発のための人権学習ツアーを企画して、ハンセン病療養所を見学し、直接入所者から隔離生活の苦難と理不尽な処遇について聞く機会が作られている。また各自治体からは自発的に人権学習の名の下に、ハンセン病療養所を訪ねて所内を見学し、併せて入所者から理不尽な隔離生活の実態を聞く機会が作られている。その他、県内は元より近接県の自治体からも学校からも人権学習のための施設見学や直接入所者から聞く機会が持たれている。また、直接療養所を訪ねる機会が持てない場合でも、直接入所者を招いて理不尽な隔離政策の下に在って苦難な生活を強いられた実態を聞く機会を、ただ一回だけでなく何回も継続しているところ(団体)も決して少なくない。
 事実、今日に在っても、毎日のように、人権学習のために菊池恵楓園を訪ねて来る団体・個人は絶えることが無い。入所者自治会の常任委員(5人)はその訪問者(団体)の対応に交代で当っているのが実態である。
 しかし、そのような啓発活動を実施している県は主としてハンセン病療養所を抱えている県である。私の出身県愛知県では、県が企画・主催するハンセン病啓発活動が行なわれているようであるが、単発的であってそんなに多くはない。一昨年(2008年)、私の郷土である町の町長さんを表敬訪問したおり、その町長さんはそれまで「ハンセン病」という事すら知らなかったと告白された。今年また、その町の人権委員と民生委員の代表にお会いした折、皆さん(町民)はハンセン病のことは無関心だから…、という。その関心がない事は、~に対する無知である事と同義語である。ハンセン病に対する無知が偏見と差別を生むのである。
 ハンセン病に対して無関心だから…、その啓発活動が望まれると思ったら、その必要性を否定するような発言を耳にしてわたしは落胆した。ハンセン病に対する啓発活動は未だに道半ばだ、と強く感じている。
  ~つづく~

差別心を無くすことは出来ない!しかし…、

【すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。】(1948年12月10日の第3回国連総会において採択された、「世界人権宣言」第一条より)

太田國男 差別心を無くすことは出来ない!
しかし…、

  ある人が「差別は人の数だけ在る」と言っている。わたしはハンセン病を患った故に差別を受けたが、何もハンセン病を患わなくてもこの世には様々な差別が存在しているからである。人は自分以外の人を差別する心を持っているからである。それを「差別心」といわれている。「差別心」と言われているように人々の内にある「心」の問題であるためにこの世から差別する心を無くすることは困難であると言うより、不可能だと言わざるを得ない。しかし、たとえ差別心を無くすることは出来ないとしても差別心を克服することは出来る、と私は思う。

 わたしはハンセン病を発症して、家族から引き離されて国立ハンセン病療養所へ入所することになった。ハンセン病は「酸鼻の極み、国家の恥辱」だと言って隔離する政策が施行れていた。従って、そのような病気に罹った者が家族の内に居ることは家族としても恥ずかしいから、私の場合は強制隔離されることにならないために自発的に入所する道を選んだのである。そのような隔離政策は間違って居ると、熊本裁判で国家が断罪され、謝罪したのである。理不尽な隔離政策の下から解放され、人間性の回復を勝ち取った。しかし、これまでに国民の中に浸透したハンセン病に対する差別は根深く容易に払拭することは出来ず今日に及んでいるのが現実である。

 隔離政策のように具体的な差別は裁判によって糺され、謂れなき差別であったことが理解されるようになった。しかし、そのような謂れなき差別、その逆もまた真なりで、謂れ在る差別がある。その差別は人の心のうちに潜む「差別心」である。その差別心が具体的な差別に変身するのである。おのおの人のうちに潜む「人を差へつする心」はなかなか厄介な存在である。

 さて、私自身が差別心をどのよにして克服したかを体験的に記すと…。私の顔はハンセン病による後遺症によってゆがみ醜い。朝の洗顔時に何時も自分の醜い顔を鏡で見るのがつらい。醜い顔が気になって人の前に出るのが嫌になり、こんな醜い顔で一生過ごさなければならないと思うと辛くなってついに自殺を図る事になる。しかし、何度か試みたが死に切れなかった。何故だろうと自問自答する日々が続く中で、神様でも治せない、勿論お医者さんでも治すことが出来ないものを誰が治せるというのだろう。誰も治すことが出来ないことが分かったら、その現実を受け入れなければならない。その現実を受け入れ、受け止め難いから悩み苦しむのである。そしてその苦悩から解き放たれたのは、「いのちの尊さ」を知ってからである。「人のいのちは地球より重い」といわれているがその「いのち」と言うのは重い軽いと言うような「量」の問題ではなく「質」の問題であり、いのちの本質は「生きること」であり、たとえ醜い体であったとしても尊いいのちの器である、と私は理解した。自殺出来ないのであれば生きることである。生きるためには今の醜さを受け入れなければならないのである。

 与えられた尊いいのちを生きるのだ、と決心してから、今まで醜い醜いと思い悩んできたことが嘘のように、人目には同じように醜くとも、醜いはずの自分の顔がいとおしく見えるようになった。そして、自ら自分の顔を醜いと言って差別してきたが、いのちの尊さを示されて、現実を受け止めることが出来たのである。こうしてはじめて、わたしは自らの差別心を克服することが出来たのである。
(太田國男記2008.10.30)筆者・太田國男

「訪問」を「交流」に(2)

 過去40余年の歴史を刻んだ「郷土訪問事業」の歴史は隔離政策を償う一つの方法であったかも知れない。その歴史の中で、クローズアップした熊本県で起きた「宿泊拒否事件」は、ハンセン病に対する偏見・差別の根さを浮き彫りにした。
 1995(平成7)年、らい予防法廃止に関する法律が成立し(04/01施行)、約一世紀に及ぶ国策の隔離政策から、国法的にも解放され自由になった。しかし、ハンセン病に対する偏見・差別は旧態依然として蔓延っていた。そして、2001年(平成13年)にはハンセン病国陪訴訟の熊本地裁判決に勝利し、人間回復の扉が開かれた。
 それでもハンセン病に対する偏見・差別払拭のための啓発活動は進まなかった。そのことを糾弾するかのように熊本で「宿泊拒否事件」が発生した。その時の潮谷熊本県知事は、らい予防法が廃止され、熊本地裁の判決によってハンセン病隔離政策が断罪され、国は謝罪した。国策に加担して来た県政も反省すると同時にハンセン病問題の啓発に力を注いできた、これまでの5年間の啓発活動は何だったのか?と言うような談話で述懐していた。
 一世紀にも亘る国策によって執行して来た「隔離政策」を旗印にしたハンセン病に対する偏見・差別が5年間の啓発活動で払拭されるわけがない。それ程にハンセン病に対する偏見・差別は根深いのであることを痛恨した出来事であった。国は3大新聞をはじめ、全国の代表的な地方紙を含めた50社の新聞紙上に公の謝罪文を2度も掲載したり、全国の中学校に「ハンセン病の正しい理解」という6ページ建てのカラーのパンフレットを配布したが、それらをどれだけの人々が読んだで正しく理解したであろうか?それら啓発のために用いた経費は数億だったと聞いた事がある。
 「宿泊拒否事件」に目覚めたように、国も県も民間に在っても、ハンセン病に対する啓発活動に一層の力を注ぐようになった。
 そして、その啓発活動の在り方にも変化が見られた。それはこれまでの主流であったペーハー(新聞やパンフレット等)であったが、その事件後は療養所の見学学習や入所者との交流会や直接入所者の声を聞く事などの啓発プログラムが組まれるようになった。入所者との交流会で入所者の生の声が訪問者に与えたインパクトは計り知れない啓発力を発揮した、と言っても過言ではない
 。そうした経験から、これから行う県の郷土訪問は「ふるさと交流」に事業の新規一転を図ることを望んでやまない。ここ何年か前から、従来の郷土訪問をふるさと交流の機会にして欲しいと県に訴えて居るがなかなか変わらないのは何故か?
 そう言う考えを抱く参加者が居ないからだと言う事がある。何故なら、自分の郷里の人々に何処の家の者か分かると家族に迷惑をかける、と思うからである。自発的に入所したと言えど、理不尽にも家族からも偏見と差別を持って見捨てられた事には変わりはない。ハンセン病に対する偏見・差別を無くする啓発活動の最後の砦は各自の家族であることを見逃してはいけない。
 自分が家族に迎え入れられる存在を取り戻すことだけが人間回復ではないにしても、人間性を実感出来るのは何と言っても家族の一員に加えられる事だと思う。そして、その事をふるさとの周囲の人々に知って頂くこと、正しい理解をして頂くことである。そのためには先ず県が率先してそのための事業(ふるさと交流会)を推進することをここに改めて提案するものです。

[参考] テレビ愛知・糧説委員室コラムNo.176 太田さん、故郷で語る

「訪問」を「交流」に(1)

 ハンセン病患者を隔離収容する国策に加担した「無らい県運動」を通じて、ハンセン病療養所へ送り込んで来た事に対する謝罪の気持ちから、鳥取県は入所者の「郷土訪問事業」を他県に先駆けて1964(昭和39)年11月4日に実施したと言われて居る。それ以後、他県でも「ふるさと訪問」または「郷土訪問」として県の事業を行うようになった。愛知県では1966(昭和41)年から始まった。1966(昭和41)年~1995(平成13)年は藤楓協会愛知県支部が行っていたが、翌1996(平成14)年から県の事業として行うようになった。
 1964(昭和39)年に、鳥取県が初めて「郷土訪問事業」を開始して以来、40余年の歳月が経過し、今はその内容も様変わりして来ている。当初は入所者に大変喜ばれた。療養所に入所した経緯は異なっていたとしても、強制収容、渋々の自発的にしろ、家族からも見放され、ふるさとから追い出された事には代わりはない。家族のためにと、理不尽な別れを強いられた挙句、入所した療養所とは名ばかりの、隔離収容所で強制労働を強いられ、ただ望郷の思いだけを積み重ねて来た月日。
 戦後、ハンセン病の特効薬・プロミンの出現に不治からの解放に喜んだ。ハンセン病後遺症を持たない若い人々の多くは社会復帰を果たしたが、ハンセン病は完治しても後遺症を持った人々や高齢者の殆どは今居る療養所を第二のふるさととして終生療養所に止まらざるを得なかった。そんな時期に「郷土訪問」が企画され、たとえ自分の家に帰る事は出来なくても、自分が生まれた家の様子や周囲の変化を自分の目でひと目見たいと思って参加し、ふるさとの変貌振りに歳月の流れを痛感して思わず涙することもあった。視力を失った者の中には、郷里の道端に生えている草を摘んで貰ってその草を噛みながら郷土の香りの懐かしに感涙する風景もあって「郷土訪問」はわが郷里と長い間隔絶されていた人々とにとって大いなる慰めとなって歓迎されていた。~つづく~
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