【すべての人間は、生れながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神をもって行動しなければならない。】(1948年12月10日の第3回国連総会において採択された、「世界人権宣言」第一条より)
差別心を無くすことは出来ない!
しかし…、 ある人が「差別は人の数だけ在る」と言っている。わたしはハンセン病を患った故に差別を受けたが、何もハンセン病を患わなくてもこの世には様々な差別が存在しているからである。人は自分以外の人を差別する心を持っているからである。それを「差別心」といわれている。「差別心」と言われているように人々の内にある「心」の問題であるためにこの世から差別する心を無くすることは困難であると言うより、不可能だと言わざるを得ない。しかし、たとえ差別心を無くすることは出来ないとしても差別心を克服することは出来る、と私は思う。
わたしはハンセン病を発症して、家族から引き離されて国立ハンセン病療養所へ入所することになった。ハンセン病は「酸鼻の極み、国家の恥辱」だと言って隔離する政策が施行れていた。従って、そのような病気に罹った者が家族の内に居ることは家族としても恥ずかしいから、私の場合は強制隔離されることにならないために自発的に入所する道を選んだのである。そのような隔離政策は間違って居ると、熊本裁判で国家が断罪され、謝罪したのである。理不尽な隔離政策の下から解放され、人間性の回復を勝ち取った。しかし、これまでに国民の中に浸透したハンセン病に対する差別は根深く容易に払拭することは出来ず今日に及んでいるのが現実である。
隔離政策のように具体的な差別は裁判によって糺され、謂れなき差別であったことが理解されるようになった。しかし、そのような謂れなき差別、その逆もまた真なりで、謂れ在る差別がある。その差別は人の心のうちに潜む「差別心」である。その差別心が具体的な差別に変身するのである。おのおの人のうちに潜む「人を差へつする心」はなかなか厄介な存在である。
さて、私自身が差別心をどのよにして克服したかを体験的に記すと…。私の顔はハンセン病による後遺症によってゆがみ醜い。朝の洗顔時に何時も自分の醜い顔を鏡で見るのがつらい。醜い顔が気になって人の前に出るのが嫌になり、こんな醜い顔で一生過ごさなければならないと思うと辛くなってついに自殺を図る事になる。しかし、何度か試みたが死に切れなかった。何故だろうと自問自答する日々が続く中で、神様でも治せない、勿論お医者さんでも治すことが出来ないものを誰が治せるというのだろう。誰も治すことが出来ないことが分かったら、その現実を受け入れなければならない。その現実を受け入れ、受け止め難いから悩み苦しむのである。そしてその苦悩から解き放たれたのは、「いのちの尊さ」を知ってからである。「人のいのちは地球より重い」といわれているがその「いのち」と言うのは重い軽いと言うような「量」の問題ではなく「質」の問題であり、いのちの本質は「生きること」であり、たとえ醜い体であったとしても尊いいのちの器である、と私は理解した。自殺出来ないのであれば生きることである。生きるためには今の醜さを受け入れなければならないのである。
与えられた尊いいのちを生きるのだ、と決心してから、今まで醜い醜いと思い悩んできたことが嘘のように、人目には同じように醜くとも、醜いはずの自分の顔がいとおしく見えるようになった。そして、自ら自分の顔を醜いと言って差別してきたが、いのちの尊さを示されて、現実を受け止めることが出来たのである。こうしてはじめて、わたしは自らの差別心を克服することが出来たのである。
(太田國男記2008.10.30)

筆者・太田國男