kiyoさんたちと
植木市で
キャンペーンカーで…
平成19年11月22日、恵楓会館において、ハンセン病シンポジゥム「これからの菊池恵楓園」が400人を越える会衆を集めて開催された。その会場で「菊池恵楓園の将来を考える会」が多くの団体の賛同を得て結成された。「菊池恵楓園の将来を考える会」参加団体は、真宗大谷派、全医労恵楓園支部、全医労熊本地区協議会、熊本ひまわりの会、熊本県労連、合志市議会、ハンセン病国賠訴訟を支援する会・熊本、熊本県民医連、熊本医療福祉労働組合、熊本県医労連、浄土真宗本願寺派熊本教区同朋部、九州・沖縄同朋運動推進協議会、個人1名、ハンセン病国賠訴訟弁護団、ハンセン病国賠訴訟原告団、ハンセン病市民学会、菊池恵楓園入所者自治会の団体と個人で結成された。
当「菊池恵楓園の将来を考える会」は1月28日から2月6日までの日程で、ハンセン病問題の真の解決と、国立ハンセン病療養所菊池恵楓園の存続、医療・福祉の充実を求める、自治体キャラバン行動を起こすことになった。因みに、28日には自治会事務室で出発式を行った。
因みに、わたしは自治会中央委員として第二日目の29日に植木町、山鹿市、菊池市の自治体に対して、「ハンセン病基本法」制定のための請願署名の協力を要請して来ました。写真はその時に撮ったものです。
年賀状

2008年
あけましておめでとう!
「傷ついた葦を折ることなく、
ほのぐらい灯心を消すことなく、
真実をもって道をしめす。」(イザヤ42:3)
ハンセン病療養所の入居者は超高齢化が進み、まさに終焉期に入った。「最後の一人まで」の国家の補償を確実にするため「ハンセン病問題基本法」の制定を目指して百万人の署名運動が始まっている。皆さんのご支援・ご協力をお願いします。
「関連資料」ハンセン病療養所の将来構想署名活動のHPもご参照下さい。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~naoko-k/shomei/shomei.htm
去る.2006年11月に左足を骨折してから、快方途上で2度目の骨折をし、また、その快方途上で今度は補装具で傷を作り、その傷が発熱したりで、昨年11月に退院するまでの約一年間で再三入退院を繰り返して、皆様に大変ご心配をおかけしました事をお詫びいたしますと共に、皆様方から寄せられましたご加祷を心から感謝し厚く御礼申し上げます。
また、昨年の県の郷土訪問に併せて企画されていた、ハンセン病者隔離政策に真っ向から反対して来られた故・小笠原登博士の郷土(愛知県海部郡の甚目寺町)での啓発講演会での講師としての責任を果たす事も出来ず、ふ残念でなりませんでした。
今年は故・小笠原登博士の生誕120年に当たります。ご存命中には報われなかった、ハンセン病者の隔離政策反対説は凡そ半世紀を得て熊本裁判によって証明された。小笠原登 同博士の存在は、ハンセン病を患った者にとって慰めであります。こんな立派な先生が居られたにも関わらず、忌わしい無らい県運動の魁となった愛知県はその過ちを懺悔し、生誕120年にその証として小笠原登博士を顕彰し名誉県民に推薦していただきたい。と願っている一人です。下の写真は年越しの今の“ひつじぃ”今年喜寿を迎えます。

新しい2008年が全ての人々に平和な年になりますよう祈ります。
2008年
2008年2月13日午後、約一時間、当園初のプロレスの公演があった。約200人位が観戦した。大技が出るたびに拍手喝采!プロレスラーがリングから降りてきて観衆に握手のサービスもあり大喜びした。外は小雪がチラつく寒い日だったが、惠楓会館の中は熱く燃えた午後のひと時だった。当日は元気な二人の男子職員が体験入門して軽い技を2、3指導して貰ったがタジタジ(^.^;;;だったが観衆からは拍手のエールが送られた。寒さで縮こまっていた身体に元気が与えられた。 



